子供のころ、工作、お絵かき、プラモデル作り、お話作り、
いろんな「モノ作り」をしてきました。
特に日本人は生まれながらにしてモノ作りの「文化」の中にいます。
先人たちが作り上げてきたモノ作り文化が沁み込んでいる日本の土地に生まれた子供たちは、教わらなくてもモノ作りの技や心構えを身に着けるのでしょう。
例えば、完成を目指して役割を越えて作業するとか、明確な役割分担なしでも驚くべきクオリティでモノを完成させることは、親や周囲の人の振る舞いを見て、自然と身に着けるものなのではないかと思います。]
「できた!」「ちょっとここ大変だったけど頑張った!」 達成感。
地道な積み上げ。「へえ!面白いんね!」「すごいね!」「ありがとう!」「こんなの欲しかった」 貢献感。「もっとよく知ろう!」「さらにいいの作るよ!」 次への挑戦
学芸会、文化祭、運動会、サッカーチーム、野球チームでは、「みんなでやり遂げるとさらにうれしい!」ということを感じます。
子供時代に純粋に味わった、モノ作りの「ワクワク」をもっともっと味わいたくて、大人になっても、仕事としても、「モノ作り」をし続けているのではないでしょうか?
物質的に豊かになりました。先人たちは品質の高いモノが安く、大量に得られる世の中を作り上げてくれました。なるべく手間をかけないで、たくさん作るため、なるべく安く多くのものを作るため、絶え間ない工夫をし続けています。
その中で、効率主義、コスト主義と呼ぶ、お金でモノの生産を評価をすることのみに注目する流れができました。
「他社製品ではこの機能あるでしょ。○×表作って機能比較しよう」
「ほら、あそこに負けていることがあるからまずはこの機能を作って」
「海外で作った方が安上がりだからそうしよう」「もっと人減らせるよ。効率よくできるし、短い時間で安くできるよ」
そして、「この製品完成したくらいで喜んでないで、次の製品も作んなきゃ負けちゃうよ」
「この製品って誰のためのもの?いろんな人の喜ぶもの作ればいいんだよ!だから、いろんな製品のいいとこどりしちゃえばいいよ!」
ちょっとずつ、モノ作りの楽しさから離れていきました。
いつしか、「できた!」「作ってくれてありがとう!」を味わうことを忘れてしまったかもしれません。
いや、「できた!」の喜びは感じているかもしれません。作っている間は楽しいものかもしれません。
そして、よくよく思い返してみると「ため息」ついている気がします。